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親子の関係 子どもの自立

親子の関係 子どもの自立

先日何気なくテレビを見ていたら、ある番組で哲学者の鷲田清一(わしだきよかず)という人が、親子の関係と自立ということについて面白いことを言っていました。

 

鷲田さんはこう問いかけます。我が子がもし仮に、親である自分に向かって、思わず耳をふさぎたくなるようなことを言ったなら(例えば親である自分のことが嫌いだなど)、親としてどのように応じることが正しいと言えるのか?

 

選択肢が3つ用意されていて、1つ目は、我が子の厳しい言葉を戸惑いながらもいったん受け入れた上で我が子をなだめようとすること、2つ目は、我が子の言葉に怒りをあらわにして叱りつけること、3つ目は、我が子に向かってそれはあなたの本心ではないのを分かっていると言いながら我が子をなだめようとすること、だったと思います。(ひょっとすると違っていたかもしれません。お許し下さい。)

 

私は、印象としては3つ目の対応がおおらかで優しいもののように感じました。そして鷲田さんによれば、世間一般で支持されるのは3つ目の対応だとのことでした。

 

皆さんなら、どれが正解だと思われますか?

 

この種の問題に正解があるのかどうか、正直よく分からないとも私は思うのですが、鷲田さんによれば、正解は2つ目で、1つ目が準正解ということになるのだそうです。

 

どうでしょうか。皆さんは納得されますか?

 

ぼんやりテレビを見ていた私は意表を突かれ、ちょっと目の覚めるような気持ちになりました。

 

鷲田さんが重視しているのは、どの答えが我が子の自立を促すように作用するか、という点です。言いかえれば、どの答えが、我が子をこの社会の中で人として独り立ちさせるのに適しているか、ということです。2つ目の対応では、子どもは、自分の発言が親を怒らせたのを見て、自分とは別個の他人として強く親を意識することとなり、ひいては他人としての親にとっての他人として、自分自身のことを強く意識するようになるので、自分を客観視でき、その結果として、子どもの自立が促されることになる、という説明だったと思います。1つ目の対応でも、2つ目ほどではないけれど、親子の間のすれ違いがごまかされずに保存されているので、他人同士として親子関係が意識される余地があり、子どもの自立が促される可能性がある、とのことでした。

 

この観点からすれば、一見すると優しく包容力があるようにも見える3つ目の対応は、我が子の発言を問答無用で否定しており(「消しゴムで消す」という言い方をしていました。残酷な感じがします。)、そのようにして自分の発言を言下に否定されてしまう子どもは、親の保護下=親の支配下を巣立っていくチャンスを奪われている、ということになるでしょう。ここで言う否定は、我が子を叱りつけたり(2つ目の対応)、親子の間に隙間風が吹くのに耐えること(1つ目の対応)とは関係ありません。そうではなく、優しさの仮面の下で、また円満な家族関係の見かけの下でなされる子どもに対する抑圧のことです。これは厳しい言い方をすれば、目に見えない形での精神的虐待と言ってよいでしょう。

 

すくすくと成長している子どもにとって一番嬉しい瞬間、心が躍る瞬間とは、果たしてどんな時でしょう?

 

たぶんそれは、親の保護下を出て生きていく自信を感じる時だと思います。小さな子どもを見ていると、まだ母親のおっぱいから離れられず、ようやくはいはいができるかできないかぐらいになった頃でさえ、誰の手も借りずに自分の力だけで前へ進もうと一生懸命になったりします(うまくいかないと悔し泣きをしたりするところは何ともほほえましい限りです)。こんな小さな時分から、人というのは自立を目指すものなのかと、心底感動し、また大いに考えさせられます。

 

あなたのことは何でも分かっている、あなたの言うことすることのすべてを受け入れてあげる、という姿勢が、親が子どもに接する際、また大人が子どもに接する際の理想なのだと、信じてきた自分がどこかにいます。哲学者の鷲田さんの問いかけは、そういう自分に大きな疑問符を突きつけるもので、まさにハッとしました。

 

子どもはかわいい。教室で私は、就学前の園児から高校3年生までを見させて頂いていますが、年齢を問わず子どもというものはかわいいものです。でもかわいいとばかり言っていては、子どもに対する大人の責任は果たせないと痛感することもしきりとあります。たとえ子どもに嫌われてでも、これは言わねばならないと思う瞬間は数多くあります。時には子どもを叱り飛ばしたりもします。自分の信じていることが本当に正しいかどうか、正直それは神のみぞ知ることなのだと思いますが、少なくとも子どもとの間に必要とあればいつでも波風を立てる覚悟は持たなければならない、それが大人の責任だと感じています。

 

水橋校 涌井 秀人