教室ニュース 水橋校ニュース本年もよろしくお願いします

本年もよろしくお願いします

本年もよろしくお願いします

新年明けましておめでとうございます。

皆さんはこの1年を、どういう年にしたいですか?

実現したいことを心に念じ、どうすれば実現できるだろうかとあれこれ考え、日々新たなことに挑戦する気持ちでい続けることができるなら、誰でもたいていのことは実現できるのではないかと思います。大切なのは、何かを思い続けることだと思います。

これは、子どもたちの勉強についても言えるでしょう。

大学進学を目指す高校3年生にとって最初の関門となる大学入試センター試験が、もう間もなくです。

水橋校にも大学進学を目指す高校3年生が通って来てくれています。彼らは、これまでそれぞれに、何かを強く思い続けてここまで来たことでしょう。ここまでの道のりは決して平たんなものではなかったと思います。いろいろ試行錯誤を重ねてきた過程で、失望することも一度ならずあったでしょう。苦労を重ね、時に諦めたり、時に新たな希望を胸に抱いたりしながらここまで培ってきたもののすべてが、彼らのこれからの人生の礎石となっていくことを、私は信じて疑いません。

受験は子どもの心身に少なからぬ傷を残すものです。それは疑いようのないことです。

今月の半ばには、高校進学に関わる公式の日程も本格的に始まります。多くの生徒は3月上旬の県立高校一般入試まで、緊張の日々を強いられます。

ほとんどの中学3年生にとって、高校受験は人生始まって以来の一大試練で、言ってみれば大人の世界の厳しさを生まれて初めて経験することになります。

私たちの社会がある程度の年齢の子どもたちに受験という重圧を課すことには、非常に長らく賛否両論があります。確実に言えることは、大学入試にせよ高校入試にせよ、基本的に大人の世界の秩序を一方的に子どもに強いるものであって、子どもの側からの内発的な成長・発展の延長上にあるものではないということです。

だから受験を目の前にした子どもたちは、戸惑い、いらだち、悩むことになります。これは当然のことで、私たち大人も、かつて自分がどうだったかを思い出してみれば誰でもすぐに納得できることです。

受験は大人の世界の秩序に子どもが服従することを要求します。けれども子どもは、大人の言うことを何でも素直に聞き進んで服従する気になるようなものでは、決してありません(もしそういう子どもがいたら、何かがとてもまずい状態にあるのだろうと心配になります)。ここから受験に関わるいろいろな苦労がー子ども本人の苦労はもちろん親御さんの苦労もー始まります。そして間違いなく、この苦労のまっただ中で、1人の人としての個性が形作られていくのだと思います。

大人の世界が偉そうに要求してくるものに一方で染まりつつ、しかし同時に自分独自のものにどこかでこだわり続けること。そうすることで、人生が誰かれの区別なく否応なく突きつけてくる難題に、その人ならではの答えをもって相対することができるようになると、私は考えます。その答えは、あるいは親御さんをひどく驚かせるものであるかもしれません。しかしその答えは、大人の世界と格闘し傷だらけになりながら誠実に導き出されたものである限り、周囲を納得させずにはおかないものだろうと思います。

受験という試練が子どもたちを大きく成長させる様を見てきた私としては、受験にはそれ自体大きな意味があると考えたい気がします。これは大学や高校の偏差値上のランキングにこだわることとは、まったく次元の異なることです。

ある子どもが結局どういう進路に進むことになるかは、それなりの客観的必然性をもって決まっていくように思います。そこには実にいろいろな、人によって異なるたくさんの条件が関わっていて、どの子にとっても最適なただ1つの選択などというものはありません。

いずれの道が自分に適しているかを見極めるには、大人の世界と相対して、たっぷりと悩み、無力感を味わい、硬い現実に大いに傷つき挫けそうになりながら、そのまっただ中で、これまで感じたことのない新しい希望が心の底から静かに湧いてくるのを待つ必要があります。

受験は過酷です。遊びたいのを我慢してたくさん勉強しなければならないから? そうではありません。人生の岐路に立たされ進路の選択を迫られるからです。

その子なりの答えが見つかり、自分にはこれしかないと思い定めることができれば、知恵はそれこそ湯水のように湧いてくるものですし、遊ぶ間を惜しんで勉強することも苦ではなくなります。そうなれば、物事は実現に向かって面白いように動いていくものです。

子どもたちには大いに悩んでもらいたい、そしてそこから自分なりの答えを見つけ出してもらいたいと思います。

 

水橋校 涌井 秀人