教室ニュース 水橋校ニュース教室長のきまぐれ日記ー学ぶ意味ー

教室長のきまぐれ日記ー学ぶ意味ー

教室長のきまぐれ日記ー学ぶ意味ー
世界中でテロ事件が相次いだ1年でした。
つい先だっても、ヨーロッパで、多くの人が犠牲となるたいへん痛ましい事件があり、驚愕させられました。この日本は、ありがたいことに(と言ってよいかどうか分かりませんが)、そのような事件とは今のところは無縁のようです。しかし一部のテロ集団ははっきりと日本を名指しで標的としています。とりあえずは来たるべき年が物騒なものとならないよう祈るばかりです。そしてもちろん日本だけでなく、世界中至る所からテロリズムの不安と恐怖がなくなるように。
しかしそれにしても、人間というものはどうしてあれほど残酷なことができるのでしょうか?(しかもテロリストたちの多くは熱狂的な正義感に駆られて?あのようなことをするのです。) 彼らの考えることやすることはあまりに常軌を逸したものなので、彼らは正気ではないとか、我々と違ってもはや人間でないと考える人も少なくないようです。しかしそのように考えてしまっては、この21世紀の世界が抱え込んでしまった深刻な問題の解決を早めないばかりか、それを無限に遅らせてしまうだけのように、私などは思います。
むしろ人間というものは、ある種の条件下では、正気を保ちながら、同時にいくらでも残虐非道になれるものなのだと考えるほうが、もっとずっと建設的で、問題解決に寄与するところがあるように思います。こう言ってしまうと、それは問題を一般化して、条件さえ整えば誰しもテロリストになり得ると言っているのと同じですから、抵抗のある人も多いだろうと思います。しかしこの日本でもかつて、オウム真理教の信者たちが一連のテロ行為に及び、たまたまその場所に居合わせただけの多くの人々を殺傷し、事件を生き延びた人々にも簡単には消えない深い傷を残しました。犯人の多くは学歴が高く非常に有能な若者であったことに、私たちは衝撃を受けたものです。つまり犯人たちの多くは、どちらかと言えば社会の中で恵まれていると見なせるような階層(いわゆる「勝ち組」)の出身だったのです。ISなども、欧米諸国を中心に、高学歴で有能な若者たちを惹きつけているようです。
なぜそのようなことになってしまうのか、原因探しの努力は多方面からなされていることでしょう。しかしどのように考えるにせよ、私たちが忘れてはならないと思うことは、人類の歴史はある意味、テロリズムに次ぐテロリズムの惨憺たる連続の歴史だったということです。そういうことは世界史であれ日本史であれ、ちょっと興味を持って歴史を覗いてみれば一目瞭然です。そこは、ほんの一時の平和と文化の興隆があるのを除けば、ほぼ一面が戦争と殺戮と破壊一色のどす黒い歴史の連続であり、ちょっと感受性豊かな人であれば、思わず本を閉じてしまいたくなるほどではないかと思います。人間とはなんと愚かで救いようのない存在なのかと、前向きな希望を失くしてしまったとしても仕方ないほどではないかと思います。
しょせん人間などは元来その程度のものなのだから、今回のことも、これから起きるであろうことも、これまで人類が繰り返ししてきたのと同じように力でねじ伏せてしまえばよいのだ、と考えることが、私にはどうしてもできません。もちろんテロリストは厳しく罰せられるべきだし、人々を無差別に襲い世界中を不安と恐怖の淵に陥れるような野蛮な振る舞いは、計り知れないほどの大きな罪です。しかしだからといって彼らを単純に力でねじ伏せることしかしないとすれば、それは人類の恐るべき怠慢というものだろうと思います。私たちの祖先たちがこれまで犯してきた過ちを、21世紀のここに至ってもなお繰り返そうとしていることに、私などは本当に人間世界というものをもう見限りたいような気分にさえさせられます。
一時の憎悪や熱狂で動くことはテロリストの振る舞いとなんら変わりません。そういう行動の結果がどうなるかをさんざん見てきたからこそ、懲りに懲りてきたからこそ、これまで人類は苦労に苦労を重ねて涙の結晶としての文化を築いてきたのです。そして子どもたちが日々学校で学んでいる事柄の中心には、まだまだ不十分なものながら、人類がこれまで計り知れないほどの犠牲を出し続けながらなんとか学び取ってきた切実な知恵があるはずだと、私は信じています(地下鉄サリン事件を引き起こした若者たちには、残念ながらその知恵が欠けていたのでしょう)。学ぶという日々の営みの中心に、もしそのような知恵が育まれる余地がまったくないとしたら、少なくとも私には、もう子どもたちの勉強の手助けをする意味はないと思っています。そしてこれは、いろいろな場面で子どもたちの教育に携わっているすべての教育関係者に言えることであってほしいと思っています。
私たちは、21世紀の今の時点にあって、もはや人間というものに全幅の信頼を置くことはできません。けれども同時にまた私たちは、人間というものに絶望するわけにもいきません。そんなことではこれから先育っていく可愛い子どもたちに未来を託すことさえできないことになってしまいます。人間世界の現状は決して安心していられるものではなく(それはテロリズムだけによるのではありません)、今後ますます酷くなっていくことも予想されますが、そんな中にあって、私たち大人には、子どもたちの未来をより安心できるものにしていくためのあらゆる努力が課せられています。
その際に私たち大人は、道を踏み外さないようにしなければなりません。勉強ということに限って言えば、何かを学ぶ意味というものが今ほど問われている時代はありません。高い学歴と社会で通用する優れた能力を身につけたとて、その末路がテロリストということになれば、教育はその基盤から破綻していたと言う他ありません。そんなことにならないために私たちがしなければならないことは何なのか? 答えは簡単には見つからないでしょうが、粘り強く暗中模索と試行錯誤を続けていこうと覚悟することが大切ではないかと思います。
私たちは人間として生まれてきた以上は、この人間世界を少しでも生きやすいものにしていきたいものです。
(アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人)