教室ニュース 水橋校ニュース教室長のきまぐれ日記ーモーツァルトかAKBか?ー

教室長のきまぐれ日記ーモーツァルトかAKBか?ー

教室長のきまぐれ日記ーモーツァルトかAKBか?ー
キース・リチャーズという人をご存知ですか?
ロックバンド、ローリング・ストーンズのギタリスト。ローリング・ストーンズと言えば不良たちの永遠のカリスマ、などと言われたのはもはや半世紀近くも前のことです。ロックスターにふさわしい?数々のスキャンダルに彩られたその活動は、長い間この日本でのコンサートを困難にしてきたほどでしたが、ここ何十年かはたびたび日本公演もあり、老若男女を問わず多くの人々を楽しませています。
キース・リチャーズという人はかつて悪(ワル)のイメージを強く持たれていたグループの中でも特に悪の中心、はみ出し者の王のイメージを持たれ、世界中の不良少年少女たち(と不良中年たち?)の心をとらえるアイドル的存在であり続けてきました。私も10代後半くらいからずっとグループともどもファンでした。もうとうに70歳を過ぎている!その彼が、ついこの間新しいレコードを出しました。長い間ファンだった者として、実は新作の出来がすごく不安で(「晩節」を汚してほしくない…)、なかなかすぐには手が出ずしばらくは様子を窺っていたのですが(笑)、インターネット上での思った以上の評判の良さに、思い切って手に入れ聴いてみました。
聴く前からなんとなくイメージしていた、よくある枯れた味わいといったようなものではなく、かといって昔の名前で出ています的な今更お馴染のものでもなく、CDから聞こえてきたのは、正真正銘の老ロックミュージシャンの、創意に富んだ、あまりにもアグレッシブな音楽でした。いい意味で予想を裏切られました。とても驚きました。人間とは凄いものだなとつくづく感心させられました。
私は若かった頃からポピュラー音楽は大好きで、これまで多くの楽しみを与えてもらってきました。一時期好きが昂じてギターを手にし、その真似ごとに興じたこともありました。あいにく私は歌ったり楽器を演奏したりする才能には恵まれませんでしたが、それでもポピュラー音楽と関わって生きていきたい、そういう音楽のことを書くジャーナリストになれないだろうかと真剣に考えた時期もありました。
世界にはポピュラー音楽より素晴らしい音楽、ポピュラー音楽よりも内容豊かな音楽があると言われています。ベートーヴェンの音楽とローリング・ストーンズの音楽を同じ土俵で語ることはできないと言う人もいます。ベートーヴェンの音楽から聞こえてくるのは、もっとずっと深刻なもの、人間にとってもっとずっと切実なもので、いかに優れたポピュラー音楽でもそれを凌駕することはできないと。近代西欧起源のシリアスな音楽には高度に発展した独自の形式があり、それが内容の豊かさを保証しているが、ポピュラー音楽にはそういう高度な形式がない。そこにはおよそ進歩や発展といったものがなく、複雑で過酷な現実世界を生きていかなければならない人間に本当の生きる力を与えてはくれないのだと。
両者はそもそも向いている方向が違うのでしょうか? ずいぶん以前ですがキース・リチャーズその人が、あるジャーナリストのインタビューに答えて(この人は昔からとても機知に富む話をする人です)、ポピュラー音楽にモーツァルトの深さを求めても得られはしない、そもそも両者は向いている方向が違うのだから、という趣旨のことを言っているのを本で読んだことがあります。確かにそうなのだろうけれども…、なんだか納得できない気持ちが残りました。
シリアスな音楽が目指してきたのは、思想家のアドルノなどが考えるところでは、近代社会の中で、古くからの伝統という近代以前には生きる上での道しるべになっていたものを失った寄る辺ない人々(つまり近代人です)が、自分自身の力で確かな人生を作り出していくための、モデルとなることでした。つまり自律と自立のモデルです。そういう意味での音楽は、青少年に社会が教養として勧めてきたもののイメージにぴったり合致しています。かつてはこの日本でも、将来の自律と自立のための教養としてのクラシック音楽を、青少年たちは求めていました。私の両親の世代あたりには、まだかろうじてその名残が見られるかもしれません。
今はもうそういう時代ではありません。今は音楽の好みは単なる選択の問題でしかありません。モーツァルトを聴くかAKB48を聴くかは選択の問題で、モーツァルトを聴く人のほうが人間として深みがあるなどと思うことは、傲慢のそしりを免れません。そういう時代には、いろいろな音楽の社会的機能が変化しているのではないかということが、考えられるのではないかと思います。社会はかつてに比べますます複雑で不透明なものになっており、その中で大人へと育っていかなければならない現代の子どもたちの苦労は、かつての子どもたちの比ではありません。よく今の青少年の意欲の低さ、生活力の乏しさが言われますが、これほど不透明な(得体が知れないと言っていい)社会の中で、自分の中に確固としたものを築いてしっかりとした大人に育っていくのは並大抵のことではありません。
音楽はいつの時代も精神的な成長期にある子どもたちの心をとらえてきました。それは成長期の不安を音楽が癒やし元気づけてくれるからです。かつての子どもたちはモーツァルトに癒やされたかもしれないが、その役目を今はAKBが果たしているまでのことです。モーツァルトの音楽が現代の青少年の心に響きにくいということの意味は、いろいろな観点から真剣に考えてみる価値のあることかもしれません。
現代人の心に響くものはもはやほとんどポピュラー音楽からしか聞こえてこないのだとすれば、ポピュラー音楽は今以上に進歩しなければならないのではないかと思います。現代人の心を癒やすだけでなく、つまり人間性を傷つけることもある過酷な現実をいっとき忘れさせてくれるだけでなく、そういう現実の中で自律と自立を実現していくためのしっかりとしたモデルとなる必要があるのではないかと思います。
70代の人間が生み出すロックンロールが果たしてどういうものなのか、しばし興味深く耳を傾けてみようと思います。
(アルファ進学スクール水橋校 涌井 秀人)