教室ニュース 水橋校ニュース教室長のきまぐれ日記ー勉強の楽しさ?ー

教室長のきまぐれ日記ー勉強の楽しさ?ー

教室長のきまぐれ日記ー勉強の楽しさ?ー
秋まっただなかです。

食欲の秋とか読書の秋という言い方はありますが、勉強の秋という言い方はあったでしょうか? 子どもたちには今の季節、いよいよ勉強をがんばってもらいたいものです。そしてできることなら、勉強の楽しさを知ってもらいたいと思います。

何かのため、例えば進学や資格のための勉強でももちろん構いません。自分で立てた目標を次々と達成していくのは楽しいことです。しかし本音を言うと、勉強の本当の楽しさというのは、そういうこととは元来関係がないことのようにも思えます。
私個人のことで恐縮ですが、学生時代に覚えた読書の楽しみは、今も骨の髄にまでしみついて消えません。興味はいろいろで、学生時代から続いているものもあれば、最近見つけた新しいものもあります。学生時代は社会思想史という分野を勉強したのですが、今でもその頃の興味は続いていて、断続的に、しかも実に細々とではありますが、今でもなにがしか勉強を続けていたりします。その一方で最近は、これも学生時代以来好きだったアメリカの古い黒人音楽やその他の大衆音楽について書かれたものを読むのも楽しみです。
仕事を終えて帰宅し、遅い食事のあと眠りに就くまでのわずかばかりの時間、そういった本を少しずつ、本当に恥ずかしくなるくらい少しずつ、読んでいます。
勉強とか読書とかと言うほどのこともないかもしれません。疲れて寝床に横になり、目で活字を追うでもなく追っているうちに、1ページも進まないうちにいつの間にか眠ってしまうこともよくあるという、その程度のことです。本当はまったく偉そうに言うほどのこともありません。
でもこの何の役にも立たない、我ながら物好きな、趣味とも言えないような趣味に、浸るでもなく浸っているわずかばかりの時間が、私にとっては何ものにも代えがたい、羽根が生えたような楽しい、実に自由な時間なのです。
勉強と言えば英単語を覚えたり数学の文章問題ができるようになるための退屈な練習ぐらいにしか多くの子どもは考えていないでしょうし、実際多くの子どもはそういう勉強しかしたことがないだろうなと思います。これは私たち大人の責任です。そういう勉強にまったくやる気が湧かない子がいるのも、そうです。
私個人の話に戻りますが、私が勉強の楽しさを知ったのは大学生になってから、いや正確には、我ながら何を血迷ったかさらにその先の大学院という所にまで進む成り行きとなってからでした。
それまで勉強と言えば、要領よくポイントをつかんで後はそれを使いこなすためのワザを磨くだけだと思っていた私は、大学院のゼミで出あった勉強の仕方に、それこそ天地がひっくり返るかと思うほど驚きました。それはそれまで慣れ親しんでいた要領よく…というのとは完全に正反対のやり方で、一句ごとに立ち止まっては考え…というふうに本を読んでいくやり方でした。
ゼミではそういう本の読み方を強いられたので、慣れないうちは正直とても苦痛でした。でもそのやり方に慣れた後は、もうそれ以外のやり方で本を読みたいとは思わなくなりました。古典のような本当に優れた書物からは、じっくりと何度も行きつ戻りつして、ああでもないこうでもないと考えながら、本と対話するように読むことで、信じられないくらい多くのものが得られます。それに気づいた時から、読書は私に、本当に大きな喜びをもたらしてくれるようになりました。
さてしかし、こういう類のことと子どもたちの勉強にどんな関係があるのか、正直まだ私にはよく分かりません。
勉強と言えば、一昔前までなら、将来の幸せのために子どもは我慢して勉強しなければならないという言い方が通用したかもしれません。子どもは勉強するのが仕事、という言い方もありました。しかし今の子どもにそれは、ほとんど通用しないと思います。すでにかなり長く生きているこの私だって、子どもの頃本気でそういうことを信じていたわけでは、どうもなかったように思います。
子どもの頃の私は、勉強しなくてもいいと思ったことはなかったと思いますが、それでも、退屈でつらい勉強をどうすれば少しでも楽しいものにできるか、毎日のように悪戦苦闘していたことが思い出されます。高校生になってもそうでした。
学校で習う数学や理科といえども、そこには人類が数百年・数千年かかって多くの犠牲と引きかえに手にしてきた知識や知恵がたくさん詰まっているわけで、本当は面白くないはずはないなどと言ったところで、子どもたちの心にはなかなか届かないだろうと思います。
ただ、自分の経験から言っても、1つだけこれは確かだろうなと思えることがあります。それは、勉強の楽しさを知るには、まずはこちらのほうから心を開いて、変な先入観を持たずに、英語や数学という相手に近づいていく必要があるということです。そうしなければ、魔法のようなことが起きることは、まずないと思います。こちらのほうがまず心を開く。そうすれば相手は、いろいろな秘密を教えてくれる。そういうものだと思います。
水橋校 涌井 秀人