躾と学力

躾と学力

一見、あまり関係ないようなこの2語ですが、とても深く関係しているように思います。

ここで言う『躾』とは「やるべきことは確りとやる」「辛くても、一つのことをやりとおす」ということの、根本になっているもので、これができていない子どもは、大人とのコミュニケーションがうまくいかなかったり、友だちとの人間関係や学校生活がうまくいかないという場合が多い傾向があります。そればかりでなく、躾ができているかいないかは学力にも大きな影響を与えます
学力を伸ばすには、多かれ少なかれ、「やらなければいけないこと」「我慢しなければいけないこと」に対応していかなければいけません。躾がきちんとできていない子どもは「やらなければいけないこと」「我慢しなければいけないこと」に対応できません。自分のしたいことだけ、興味のあることのみにしか集中できなくなります
そうすると小学3年生、4年生と学習内容が複雑になるにつれて問題が起こってきます。たとえば国語なら文章が長くなってくると、最後まで読み通すということができなくなります。本を読み慣れている子どもには問題ないですが、ふだん漫画ばかり読んでいるような子どもにとっては、教科書の説明文などを読むのは、苦痛をともないます
その時躾のできていない子どもは、途中で投げ出してしまいがちなのです
。算数なら繰り上がり、繰り下がりが2度、3度重なるような計算が出てきたあたりで、躾のできていない子どもは解くのを諦めてしまいます。「できない」のではなく、めんどくさいから「やらない」のです。
 そして、「めんどくさい」→「やらない」→「分からなくなる」→「もっとめんどうになる」という悪循環がはじまってしまいます。
こういう子どもは、学力を上げていくのにとても苦戦します。たとえ学力が低くても、なんとかわかろうと努力してくれる子どもは、必ず成果が上がります。
しかし、やる気のない子どもは中々伸びづらいです。
 
躾ができている子どもは「辛くてもやらなければいけないことがある」ということを知っています。
国語の長文も、つまらないと思いながらも読みとおしますし、めんどうな計算も苦労しながら練習します。学校の勉強というのは、努力すれば必ず成果が上がるようにできているのです。こういう子どもは「わかる」喜び、「できる」喜びを体験することができ、学力も上がっていきます。「躾」と聞いただけで、「古臭い」というイメージをもたれてしまうかもしれません。でも昔と変わってきたのは、躾の方法だけで、最低限教えなければならないことは「昔」も「今」もあまり変わっていないと思います。