教室ニュース 水橋校ニュース入試本番を迎えています。

入試本番を迎えています。

入試本番を迎えています。
入試本番を迎えています。
中学入試はすでに終わりましたが、高校入試は、1月の私立高校推薦入試に始まって、富山高専推薦入試がすでに終わり、つい先日には私立高校の一般入試がありました。さらにこれから、県立高校推薦入試、高専一般入試、県立高校一般入試と続きます。県立一般入試がゴールの生徒たちは、3月半ばのテストまで、まだまだ気の抜けない日々です。大学入試は、すでに大学入試センター試験が終わり、私立大学入試、国公立大学前期日程試験、同後期日程試験と続きます。
ここまで来たら、合格を信じてぎりぎりまで一生懸命やるしかありません。入試というものは、これまで各自が長い間続けてきたがんばりの総決算と言うべきものですから、一般的に言えば、直前になって焦ってやったことが結果を左右するわけでは決してないのですが、それでも、この時期はとにかく合格を信じてがんばらなければなりません。
中学入試であれば、個人差はありますが、だいたい小学5年の初めないし中頃から少しずつ、それなりの対策を始めれば、富山県内の中学校ならば十分間に合うと言えるでしょう。
高校入試は、中学生と小学生の入試に対する意識や、そもそも生活パターンがまったく違うことから(中学生は小学生よりも勉強中心の生活を強いられている)、もう少し遅く、中学2年の終わり頃からそれなりの対策を始めれば、たいていの高校学科には十分間に合います。
では大学入試はどうでしょう。これは最終目標が私立大学なのか国公立大学なのかによって、大きく違ってきます。私立大学がゴールなら、もちろん大学によって違ってはきますが、普通科に通う生徒で高校2年の中頃まであまり勉強に熱を入れず割とのんびり過ごしてしまったような場合でも、まずは間に合うと言えるでしょう。私立大学の受験科目は、センター試験も含めて、少ないのが普通だからです。高校2年の中頃から、遅くともその終わり頃から、志望大学と学科を絞って(これが重要です)、3科目ぐらいに力を注いでいけば、中堅クラスの大学・学科に合格することは十分に可能です。職業科に通う生徒でも、志望大学と学科を慎重に選択し(何度も言いますがこれが特に重要です!)、早くから対策を始めれば、私立大学合格の可能性は十分にあると言えます。
国公立大学がゴールだと、事情は大きく違ってきます。国公立大学の場合は、受験科目がたいへん多くなります(通常は7科目ほど)。3科目と7科目の違いを軽く考えてはいけません。かかる労力と時間が倍ほどになるとごく単純に考えても、これはとても早くから、それなりの強い意識をもって、毎日長時間勉強する態勢を作る必要があることを意味します。上位の進学校と呼ばれる高校は、このことを、入学直後から新入生に叩き込んでいきます。それこそ完膚無きまでに、泣けてくるほどに、です。そうした高校の国公立大学合格率が高いのももっともだと思えるような指導を、実際に入学直後から新入生に対してビシバシ行っています。地元の国立大学に普通に入ろうと思うなら、高校入学直後からほぼ勉強一色の「灰色の」高校生活を送ることを覚悟しなければなりません。
さてしかし、こういう話はある意味で現実的である一方、理想を語るものであるのも確かです。人間というものは、そう簡単に理性の命ずるところに従うことはできません。子どもたちの中には、ここでお話したような条件を到底満たしていない状況で、それぞれの志望校を目指し、ぎりぎりのわずかな可能性を信じて、受験勉強をがんばらなければならない子が少なくありません。夢と現実のギャップが分かっていながら夢を諦められない気持ちはよく分かりますし、ギャップを持て余してがんばりきれなくなり、ついには夢を諦めたくなる気持ちも、よく分かります。
結局のところ、私は、そういう経験のすべてが、子どもたちのその後の人生の糧になると思っています。一度や二度の挫折が何だと言うのでしょう。挫折や破たんのない人生などあり得ません。シミ一つないきれいな人生など、糞食らえです(汚い言葉で本当にすみません)。辛い経験をしたことが人生を深い所で支えることがあるということは、普通の大人なら誰しも分かっていることではないでしょうか。しかし、それでも勝つとか負けるといったことにこだわるとすれば、確かに言えると思うのは、最後に勝つのは、夢と現実のギャップに苦しみつつも、決して夢を諦めることのなかった人だということです。かの文豪ゲーテも、似たようなことをどこかで言っていたように記憶しています。夢とは今すぐは実現しないものかもしれませんが、諦めず追い求め続けるなら、いつかは実現するかもしれないものです。
子どもたちにはたくましくあって欲しいと思います。持ち続けるに値すると思えるなら、周りから何と言われても夢を持ち続けてもらいたい。諦めさえしなければ、いつかは実現するかもしれないのです。
水橋校 涌井 秀人