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勉強嫌いを治すには?

勉強嫌いを治すには?

期末テストの結果が出ています。塾生はみんな満足のいく結果だったと言いたいところですが、現実はそううまくはいきません。よい結果で明るい前向きな気持ちで夏休みを迎えられそうな子もいれば、頑張ったのに思ったような結果が出ず肩を落としている子もいます。あるいはまた、やるべきことを十分にやらないでテストに臨み、当然の結果に周囲からも叱責され、すっかり気持ちが後ろ向きになってしまっている子もいるでしょう。

学校のテストに向かう子どもの姿勢には、その子の日々の過ごし方や価値観の多くが正直に表れると思います。

例えば勉強が嫌いで、できることならずっと好きなことだけをしていたいと思うのは、ある意味とても自然で、健康的なことであるとすら思いますが、しかし現実にはこれはいかにも子どもっぽいことと見なされます。私たち大人は、自分の過去を振り返ってみれば誰でも思い当たることがあるはずです。

私たち大人は、社会で様々な経験をするうちに(たいていは苦い経験と決まっているようです)、自分の自然な欲求のストレートな表現を、涙を呑んで「諦める」ようになってきた。そして私たち大人は、そうすることでいわば逆説的に、そうした自然な欲求を、現実の世界の中で、たとえほんの少しずつではあっても確実に実現できるようになってきた。これこそ大人になるということだ。と、こんなふうに言ってもよいでしょう。

近代社会の教育が目指してきたものは、こういうことと関係があると思います。それが目指していたのは、次のようなことを子どもたちに伝えることだったと思います。現実の世界にはいろいろと、必ずしも面白くはないがやらなければならないとされることが多い。しかし生きる楽しみというものは、他でもないそういう数々の面白くないことどもの間に深く埋もれているものであり、それを手に入れるためにはそれなりの長い苦しい努力が絶対に必要である。だいたいこういうようなことをです。

私もまた、成長過程の折々に、親からも学校の先生からもこういうことを繰り返し聞かされてきました。そしていつの間にかそれが「刷り込まれて」、知らず知らずそれが当たり前だと思うようになっていたようです。

「本音と建前」と言います。こういう考え方は「建前」に他ならないのですが、これまでの日本、明治の文明開化から始まって、殖産興業・富国強兵の道を突き進んだ太平洋戦争の頃までの時期、そして敗戦を経た後国際社会(西側世界)の強力な後押しもあって経済成長の道をひたすら突き進んだ昭和の後半までの時期は、この建前が力を発揮して、この国とこの国の人々を良かれ悪しかれうまく導いたと思います。以前は、子どもに説教してもそれがちゃんと効いていました。

今の子どもに、同じ手は使えません。最近とみにその思いを強くしています。おそらく私たち大人が日々の暮らしにあくせくしている間に、子どもと大人を取り巻くこの社会の何かが大きく変貌したのだと思います。

今の子どもたちの多くは手軽な情報端末を持っていていとも簡単に使いこなしています。例えば何かいかがわしい情報にアクセスしようとすれば、大人の監視の目をかいくぐって欲しい情報をゲットするのは、たいていの大人が思っているよりもかなり簡単なことです。昔の子どもは、大人の目を盗んでそういうものに触れようとすれば、心理的にも身体的にも相当に大きなリスクを冒さなければなりませんでした。

これは1つの例ですが、今の子どもにそういうリスク、自分の欲求を満たすためにさんざん苦労して乗り越えるべき高いハードルは存在しません。そういう今の子どもたちに、昔ながらの道徳を情熱的に語ったところで果たして彼らの心に響くものでしょうか? 残念ながら私にはとてもそうは思えません。

学校のテストにろくに準備もしないで臨むなどというような姿勢は、決して認めてはならないことだと思いますが、今の子どもたちにそれを分かってもらうには、これまでとは違ったものの言い方をする必要があるのではないでしょうか。

では、どういうものの言い方をすればいいのか?

親の権威も教師の権威もとうに化けの皮をはがされてしまったかのような昨今の状況の中で、どういうものの言い方をすれば、ある意味醒めた目を持っている子どもたちの心に響くのでしょうか。正直なところ私にもよく分かりません。ただ、子どもと大人を取り巻く環境が以前とは大きく変わっており、以前の常識が今はもう通用しないという認識を持って、子どもたちと日々緊張感をもって付き合う中から、答えは出てくると私は思っています。

水橋校 涌井 秀人