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ゆとり教育の「失敗」?

ゆとり教育の「失敗」?

「知る」とはどういうことでしょうか。

進学塾という場所で日々子どもたちの勉強の相手をしている私にとって、知るとはどういうことなのかということは、いつも気になっていることの1つです。

進学塾という所は、言うまでもないことかもしれませんが、通常の意味での「学校」とは違っています。何かを基礎から丁寧に教えていくこと(つまりteaching)が学校に期待される一番の役割だとすれば、大量の演習課題を子どもたちに課してとにかく慣れさせること(つまりlearningの手助けをすること)が、これまでの学習塾や進学塾が果たしてきた役割だと思います。

戦後長らく日本では、小・中・高校を通じて強力な詰め込み教育が行われていました。その反動で、ひと頃はずっと「ゆとり教育」が行われていたのが、再度の方針転換で、今現在は、かつての詰め込み教育が復活し始めています。

私の主観的な印象では、長い間のゆとり教育の中で、何かを基礎から丁寧に教えていくということが学校で真剣になされていたようには思えません。子どもたちの学力を見ていると、一般的に、ここ最近は学力下位層がとても多くなってきていることが目を引きます。先生から教わらなくても分かる・出来てしまう子が少数ながらいる一方で、多くの子は、学校でしっかり教えてもらうでもなく、かといって十分な演習量を確保してもらうでもなく、気が付いたらすっかり「落ちこぼれて」しまっていたという状態にあるのではないかと思います。

問題は、ゆとり教育の中で、学校教育の焦点がしっかりと定まっていなかったことにあるのではないかと私は思います。基礎から丁寧に教えると言っても、実情は、現場の教師それぞれの創意工夫が期待され、試行錯誤に委ねられていただけではなかったかと思います。

例えば中学1年生は数学で正負の数というものを勉強します。+3とか-5とか、プラス・マイナスの符号がついた数が出てきます。+3と-5を掛け合わせると-15になるといった計算では、同じ符号がついた数どうしの掛け算の答えは正の数(プラスの符号がついた数)になり、違う符号がついた数どうしではそれが負の数(マイナスの符号がついた数)になるということは、なぜそうなるのかの理屈にこだわり出すと、底なし沼に足を取られたようになってしまいます。

有名な話で、エジソンのような人は子ども時代、1足す1が2になることが納得できなかったそうですが、小学校や中学校で勉強することの中には、本気になってその意味を知ろうとするとたちまちわけが分からなくなってしまうことが、実はたくさんあります。

プロの学校の先生を含めてほとんどの大人には、子どものそういう「素朴な」疑問に答える力がありません。ほとんどの大人には、そのように考える習慣がなかったからです。詰め込み教育で育ってきた大人たちには、そもそもそういう疑問を持つゆとりがありませんでしたし、基本的には、要領よく問題を解くテクニックを身につけることが勉強そのものだと信じて疑わなかったと思います。

最近の子どもたちを見ていると、自分たち大人には思いもよらないところで壁にぶち当たっている姿を目にして驚くことがあります。さっきの掛け算ではありませんが、子どもでなくても、なぜそうなのかを考え始めるとたちまちわけが分からなくなります。私はそういう時、これは約束事であり数学というゲームを進めるために知っておくべきルールなのだからとにかく覚えてほしいという言い方をします。はぐらかされたような気持ちになる子もいるでしょう。

長い間のゆとり教育は、ひょっとすると、子どもたちの中に眠っていた自然な探究心に火をつける結果になったのかもしれません。もしそうなら、これはゆとり教育の成果と言ってよいことなのでしょう。実際私たちの身の周りには、分かったつもりになっていてその実何も分かっていないというようなことがたくさんあるように思います。そういう1つ1つをゆるがせにしないことは、たいへんに価値のあることだと思います。

しかしこれは反面パンドラの箱を開けるようなことでもあったかもしれません。詰め込み教育の中で育ち、これまで微妙なところは要領よく切り抜けてきただけの大人が、ある意味でまったく新しい事態に直面している子どもたちを導くことは、相当に困難なことではないでしょうか。最近はゆとり教育の失敗やその見直しばかりが言われますが、総論を先走らず、失敗したのは何で、功を奏したのは何だったのかについての細かい検証をすることこそ大切だと思います。

ゆとり教育で学力が下がったからまた以前のような詰め込み教育に戻すというのは、いくらなんでも考えがなさすぎるのではないかと危惧しています。学力の国際比較とか教育立国・産業立国のプライドなどが関係しているのかもしれませんが、「知る」ことの意味をじっくりと考えてみようとしない浅はかな大人たちに振り回される子どもたちがかわいそうです。

 

                                                                                                            水橋校 涌井 秀人