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父母であること

父母であること

新しい学年が始まりました。新しい学校に進学したばかりの子どもたちは、入学式にオリエンテーリング、授業や部活動開始と、今は慌ただしく落ち着かない時を過ごしていることでしょう。

生活の変化は、誰にとっても、まずは心と体に対する圧迫として感じられるものです。まだ経験の乏しい子どもにとって、その圧迫は、大人の場合とは比べものにならないほど強いものになると想像できます。

子どもたちにとって、新しい環境への適応は、大人の場合とは比べものにならないほどの膨大なエネルギーを必要とします。新入生がこの時期心底疲れた表情を見せるのは無理もないことです。

しかし一方で、子どもたちの新しい環境への適応力は、私たち大人のそれとは比べものにならないほど大きい、ということも同じように言えます。ゴールデンウィークを迎える頃にはげっそりした顔をしていた子が、よく辛抱した末に、夏休みを迎える頃になると見違えるようにたくましい顔をしている、ということはよくあります。子どもは総じて私たち大人から見ればびっくりするほどのスピードで、新しい環境に適応していきます。

進学のような生活上の大きな変化に直面した子どもたちに相対する時、私たち大人が気を付けるべきことが2つあります。

1つは、子どもの心と体が発する変調のサインに敏感であることです。進学のような大きな変化によって、成長途上にあって基本的に不安定なものである子どもの心や体に何らかの問題が現れることがあります。辛いいじめに遭うとか、部活等で度を越したしごきを受けるといった特別に変わった体験をしなくても、進学という経験そのものが、子どもにとっては天地がひっくり返るほどのものです。

こうした問題は、早めに発見し、場合によっては専門家の力を借りるなどして、適切なタイミングでそれなりの対処をすれば速やかに軽減する場合がほとんどです。ただ子どもが自身の変調を自分から周りに訴えることはあまりないと思います。そこで、この時期は周りの大人が常に気を付けていなければなりません。

もう1つは、これは今言ったことと矛盾するようですが、次から次にやって来る新しい経験と悪戦苦闘し、そういう経験の渦に飲み込まれそうになっている子どもに、楽にしてやろうと思って、大人があまりおせっかいな手を差し伸べないことです。我が子の苦しむ姿を見ていられなくてつい…ということは、親であれば誰でもしたくなるだろうと思います。しかし明らかに心身に変調を来たしているようなよほどの場合でない限り、それは結局子どもから成長する機会を奪うことになると思います。

子どもには新しい環境への適応力が豊かにあります。そしてこの適応力は新しい環境の中で悪戦苦闘する中からしか現れてきません。そういう悪戦苦闘から子どもをむやみに「救い出」さないことが、子どもの成長を促すことになるのです。

新しい環境に戸惑っているであろう子どもたちに対し、私たち大人がしてやれることの第一は、子どもたちがいつでも戻って来て心から安心して休める静かで穏やかな港のようなものであることです。しかし他方では、私たち大人は、荒波渦巻く人間社会という現実の大海に向けて子どもたちを突き放す厳しさも持たなければなりません。人の本性のうちには、つい楽な方へ流れてしまう、という弱い一面もあると思います。

子どもたちには優しくたくましく育っていって欲しいと思っています。そのために、私たち大人は、子どもたちとの間につかず離れずの距離を保つ努力をしなければならないと思います。

今回は、ペルシャのある古い詩を引いて終わりにします。子育ての勘所を凝縮したような内容の詩だと思います。

 

父母であること

あなたは、子どもたちに愛を与えることはできるが、あなたのものの考えを与えることはできない。

なぜなら、子どもたちは、子どもたち自身のものの考えを持っているのだから。

あなたは、子どもたちの身体の世話をすることはできるが、彼らの魂をそっくり、飼い慣らすことはできない。

なぜなら、彼らの魂は、明日というすみかに息づいているのだから。

あなたは、子どもたちのようになろうと努めてもよいが、子どもたちをあなたのようにしようなどとしてはいけない。

なぜなら、人生は後ろ向きに進んで行くものでもないし、昨日のままで留まっているものではないのだから─

 

                                               水橋校 涌井 秀人