教室ニュース 水橋校ニュース教室長のきまぐれ日記ー成績を上げるために必要なことー

教室長のきまぐれ日記ー成績を上げるために必要なことー

教室長のきまぐれ日記ー成績を上げるために必要なことー
塾というものはまず第一に子どもたちの成績を上げるためにあります。しかし子どもたちの成績を上げるために、家庭学習の習慣をなおざりにするわけにはいきません。こう言うと、たいていの子どもたちと親御さんはこう思われるかもしれません。それは分かっているけど、でもそれができなくて困っているのに・・。もっともだと思います。
「家庭」学習といいますが、子どもにとって家庭とはまず第一に癒しの場だと思います。子どもにとって友達や学校の先生との付き合いは緊張を強いられることですし、決して好きでやっているのではない勉強のことで、事あるごとに怠けているとか努力が足りないなどと言われ続けるのは耐え難いことです。そんな、成長期で心の生傷の絶えない子どもたちにとって、家でだらしなくしたり、わがままを言って大人を困らせたりするのは、必要な休息の一環なのだと思います。
私も含めてたいていの大人が勘違いしていると思われることは、家で勉強しない、ゲームやテレビやパソコンなどを前にだらしなく過ごす子どもの姿が目について仕方なくなると、子どもを是が非でも叩き直さなければと考えてしまうところではないかと思います。
これは実際問題としても相当に無理がある発想かもしれません。そもそも自分を棚に上げて我が子だけを責める親は誠実とは言えませんが、そうでなくても問題があるように思えます。ふがいない我が子の姿は親である自分の忠実な写しではないかと疑い、子どものありようを改めさせる前にまずは親の自分からと考えて、自らを叩き直そうとする人は、誠実な人ではあるでしょう。しかしそういう人は、どことなくあのドン・キホーテ、何でもない風車小屋を邪悪な怪物と思い込んで突進する哀れなドン・キホーテに似ていなくもありません。子どもは親の真似をすると言いますが、そういう向こう見ずな親をもつ子もまた親に負けず劣らず向こう見ずだったりして、大いに考えさせられます。
勉強ができる子はほぼ例外なく家庭学習の習慣が身についています。それは確かなようです。ただしそれが親御さんから見て勉強しているようには見えないことがよくあるというのも、確かなようです。勉強の習慣のある子どもは、決して勉強を堅苦しく修行のようにやっているわけではありません。そういう子が勉強する近くには、CDラジカセやiポッドから流れる好きな音楽があったり、マンガや雑誌が置いてあって勉強しながらちょくちょく手にとって眺めたり、といったことがよくあります。
うちの子もそうだけど勉強する姿は見たことがないし成績も悪い!と思われる親御さんもおられるでしょう。勉強の習慣がある子とない子ではどこが違うのでしょうか。どうも考えてみると、勉強の習慣のある子は、癒しとしての家庭生活と、元来好きでやっているのではない勉強を、上手にリンクさせることができているように思います。要するにだらだらしたり遊んだりすることと勉強することの間にあまりギャップがなく、遊びから勉強へ、勉強から遊びへと、わりと自由に行ったり来たりしながら、その子ならではの「自分の時間」を過ごしているように思われます。
難しそう・・と思われるかもしれませんが、勉強を修行のように考えて禁欲的に頑張ろうとすることのほうがよほど難しいと思います。大事なのは気楽に一歩踏み出すことです。勉強を始めるのに遊びや息抜きを諦める必要はないのです。take it easy が何をやるにしても長続きの秘訣です。気負わず楽に、が大事だと思います。
水橋校 涌井 秀人